専門知識と職業倫理
大学の就職指導委員長を務めていて、「起業家」と「プロフェッショナル」という言葉に多くの学生が反応し、最近の学生の企業就職観が大きく変化しつつあることに気づく。学生の職業選択のために大学側で用意したキャリア教育が、「社会のために役立ちたい」「自分の好きなことをしたい」という世代意識と結びつき、自立した職業人と言われる起業家あるいは専門職業人志向となって現れるのであろう。こうした動きは、彼らの就職に対する積極的姿勢として大いに評価されるべきであろうが、この学生が将来、高い倫理観を持って社会で働くことができるかどうかという点になると、なんとなく心許無い。大体、これらの有資格専門職は、日本企業のリストラ後の雇用慣習や人事制度の見直しのなかで、転職コンピテンシーを持つ職業として、或いは安定的な生涯所得が得られる職業として、改めて評価され始めたものであって、実際にそうした仕事に従事していくためには崇高な倫理観が前提になるということは教えられていないのである。もちろん、基本的な道徳教育は単発的に行っているが、実践に結びつけるための倫理教育は不在となっている。
最近、会計・証券・税務専門家による決算粉飾・経理不正を始めとして、資格ある建築士による構造計算偽装、組織トップの一員である技術審議官による官製談合など、プロと呼ばれる職業人が直接関与した反社会的事件が数多く表面化している。そうした事件の発生を抜本的に抑止するためには、職業人とりわけプロの職業人は、高い倫理観を持って仕事をなすべきであるというのが一般世間の論調である。しかし、そうした厳格な倫理観を、若き起業家・プロ職業人に植え付けることは可能であろうか。
古代ギリシャの医師ヒポクラテスによって起草された「ヒポクラテスの誓い」は、長い間、医師の倫理規範とされてきた。とりわけ「私は能力と判断の限りを尽くして患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法は決してとらない」という一節は、患者第一とする崇高な医師の理念を示したものといわれている。しかし、この倫理規範も、近年では、患者が主体的に治療方法の意思決定プロセスに参加することに伴って、変質しつつあるという。患者を主体とする新たな医療倫理の幕開けともいえるのだろう。
この医療倫理の変質と同様に、プロフェッショナルの職業倫理規範も、現代の社会変化の中で変質し始めているのではないだろうか。現代社会に行き渡りつつある拝金思想に塗れた資本主義社会のもとでは、高度な専門知識を提供して顧客の最大利益確保に寄与し、一方で、自身も多くの金銭的利益を得るというプロの商行為は、それが、違法スレスレであっても遵法行為であれば、非難されることのない当然のこととして認識され、むしろそうした利益モデルが、国家間競争、企業間競争の生き残り戦略であると評価されているといえるだろう。そうした状況の出現は人間の倫理的生き方に悪影響を与えるとして、私たちが高い倫理観を有するプロの存在を望むというならば、現代社会が職業人の倫理観にどのような悪影響を与えているかについて、深く考察を加えなければならないと思う。