「民族」の分類は可能か

田村 紀雄 (顧問 東京経済大学名誉教授)

田村紀雄顧問大学院生たちとラオス山中の情報生活調査をしている。農山村の保健衛生の改善のため日本政府が建設してきた無線網の利用調査だ。BHNというNGOの末端会員のわれわれのボランテイア研究だ。BHNというのは、電気通信会社や通信メーカーの社員・OB、それに研究者たちの参加する団体で、海外の災害、情報格差の甚だしい地域に通信施設を設置したりしてきた。ラオスの通信手段のない村むらにJICA、BHN等がリレー式に 215箇所も無線施設を建設してきた。村コミュニテイや住民生活への寄与を調査するのが目的だ。

事前調査で南部の県を訪れた。雨季、洪水でメコン河の水位は40メートルも上昇、河に平行して南下する国道は出水で隠れ、道と河の区別がつかない。そこを 10時間余かけて4輪駆動車で多数の村を訪ねるのだ。マラリアのシーズン、どの病院も保健所も患者で溢れる。病気の発生が無線で政府に知らされ対応が進められたわけだ。その患者の中に、一目で少数民族とわかる子供と家族がいた。

私は英語のわかる通訳を雇っていたのだが、この患者たちラオス語が話せない。幸い、同行していた地元の医師が彼等の言葉を喋れた。この医師英語が話せない。ラオスは社会主義になる前、旧宗主国との縁でフランス留学が盛んで医師たちは、フランス語で教育を受けた。この医師は少数民族の治療もしてきたのだ。したがって私との問答は、日本語―英語―ラオス語―少数民族語の順である。なぜ、かくも多くの少数民族の人達がマラリアに冒されたのか、この会話では十分承知しえない。そこで、村を訪ねた。ラオタイ( LaoThay)系の一部族で、人口の半分を占めるマジョリテイと同一系列と思うのだが言葉が通じないのだ。

村で驚いた。ガス、電気、電話、水道、活字の一切のインフラがない。ラオス特有の高床の粗末な家に目立ったのは新しい蚊帳。WHOが政府やNGOを介して急遽配布したものだ。話を総合すると、もともと高地に住んでいたが、政府の方針で平地へ移動した。政府としては、高地では、教育、産業振興、それに治安上も好ましくない。平地にきて通学は確かに可能になったようだ。ところが、蚊もいたのだ。加えてベトナム戦争中に米軍機が落とした何万発もの爆弾の跡に水が溜まりマラリア蚊の繁殖となった。蚊をさけて高地に住む先住民族は世界に多い。

県都カンタブリからベトナム国境にかけて多様なエスニック集団のコミュニテイがある。いずれも、社会主義以来の移住政策でうまれた。人口 5百万のラオスは少数民族の宝庫だ。「民族」のデイレクトリ化は厄介なテーマだ。「少数民族」とは何だろうか。「民族」問題は21世紀の国際・国内紛争の種だ、この問題を抱えていないとこはない。日本人には不得意の分野だ。

ラオスには何種の「民族」があるのか。ラオス政府が「認定」したものだけでも 4種の系統、47のエスニック集団がある。亜集団にいたってはその数倍もある。TongLueangは24人、このほか未解明の集団が二つの先住民地区に3万5千人いる。政府の「認定」を待っているが、政府が「認定」する性格のものかどうか、という議論もある。国を跨いだり、「自治」「独立」を要求するとなるともっと厄介だ。

「民族」「エスニック集団」という概念はともに歴史的な枠組である。分類、デイレクトリも歴史や社会、政治によって動かされる。政治の都合で「同化」解消したかと思うと、突然「発見」される。分類の仕方によっては戦争になる。